マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

独立戦争の否定や肯定を考える

 ――防衛戦争と同じように否定が難しい戦争に、独立戦争がある。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――独立戦争の否定

 は、

 ――決して自国の主権の回復・獲得を目指さない。

 と決断を下すことに繋がり――

 それは、素朴な意味で、

 ――堪忍

 を要する、というよりも――

 むしろ、

 ――卑下

 を要する、というほうが適切である、と――

 

 ……

 

 ……

 

 次のように単純化をした事例で考えてみましょう。

 

 今、Aという大国が、bという小国を実質的に治めている――A国の政府がb国に関する様々な最終決定権を握っている――

 そのことをb国の人々は、

 ――おかしい。

 と思っているが、A国の人々は、

 ――当たり前――

 と思っている――b国の人々からすれば、A国は外国なのだが、A国の人々からすれば、b国は自国の一部である――

 

 このような状況で、b国の人々がA国に対して独立戦争を仕かけることは、否定をされうるのでしょうか――あるいは、肯定をされうるのでしょうか。

 

 たしかに――

 両国の関係は、少なくともb国にとっては、公正とはいえませんね。

 

 多くの第三国にとっても、公平とはいえないでしょう。

 

 唯一、A国にとっては、公正ないし公平といえるのかもしれませんが――

 その主張の正当性を説くのは、おそらく簡単ではありません。

 

 A国の人々の中にも、

 ――公正でも公平でもない。

 と感じる人は少なくないでしょう。

 

 このときに、b国の人々が武器を手に取ってA国の政府に対し、

 ――我々の独立を認めよ。さもなければ戦争を仕かける。

 と布告をすることは、否定をされうるのでしょうか――あるいは、肯定をされうるのでしょうか。

 

 さらにいえば――

 そのような布告さえもせずに、いきなりA国の政府に戦いを挑むことは――例えば、b国内におけるA国の治安組織に攻撃を加え、その要員を殺し始めることは――肯定をされうるのでしょうか――あるいは、否定をされうるのでしょうか。

 

 つまり、

 ――公正でも公平でもない。

 という理由で、いきなり人殺しを始めてしまっても、よいものでしょうか。

 

 あるいは、

 ――人殺しはよくない。屈辱に耐え、我慢を重ねて生きていこう。

 と諦めてしまっても、よいものでしょうか。

 

 もちろん――

 これら2つの答えの例は、いずれも極論ですから――

 実際の答えは、もう少し中庸に寄るはずです。

 

 が――

 それでも――

 答えを出すのは簡単ではありません。