マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

独立戦争が物語の題材として微妙な理由

 ――戦争、反対!

 というときに――

 その「戦争」が、

 ――侵略戦争

 であれば、異論は少ないのですが、

 ――防衛戦争

 や、

 ――独立戦争

 であれば、俄然、異論が多くなります。

 

 実際のところ、

 ――防衛戦争

 や、

 ――独立戦争

 は、しばしば物語の題材に取り上げられます。

 

 たいていは――

 防衛戦争の物語では、防衛を引き受ける側が主役で――

 独立戦争の物語では、独立を抑制的に仕かける側が主役です。

 

 そして――

 それら主役の人物は、いずれも戦争を積極的には望んでいない体で描かれることが殆どなのですね。

 

 こうした物語の造形の傾向は――

 やむにやまれぬ立場で戦争に臨まざるをえない人物というのは、少なくとも物語の受け手には、好意的に受け止められやすい――

 という原理に起因をしているように感じられます。

 

 一方、

 ――侵略戦争

 が物語の題材に取り上げられることは、まず、ありません。

 取り上げられるときは、防衛戦争の物語の敵役として、あるいは、独立戦争が過剰に独善的になっている物語の敵役として、です。

 

 こうした傾向は――

 自ら進んで戦争に臨んでいく人物というのは、物語の受け手としても、なかなか好意的には受けとめられない――

 との原理に起因をしているようです。

 

 まあ、当然ですよね。

 

 戦争というのは――

 どんなに言葉を飾ったところで、しょせんは、

 ――人と人との殺し合い

 です。

 

 その殺し合いを挑まれて仕方なく応じる、というのなら、いざ知らず――

 自ら率先をして殺し合いを挑んでいくような人物は――

 かなり控えめにいったとしても、

 ――近寄りがたい人物

 となります。

 

 こうした観点でみていくと、

 ――独立戦争

 というのは、物語の題材としては、かなり微妙といえます。

 

 独立を求める側が、独立を認めない側によって、例えば、

 ――次々と殺戮をされていく。

 といった設定でも加えない限り――

 独立戦争の物語が広く共感を呼ぶことはなさそうです。

 

 例えば、

 ――理不尽な重税を課せられていく。

 といった設定くらいでは、なかなか共感を呼びにくい――

 ということです。