マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中流階級:その上流と下流と――

 いわゆる、

 ――市民革命

 について――

 

 その「市民」というのは、中流階級の人々のことであり――

 その「革命」というのは、政治の権力の在り方のことであるから――

 

 ――市民革命

 は、本来、

 ――政権革命

 と呼ばれるのがよいであろう――

 

 ということを――

 きのうまでの『道草日記』で繰り返し述べてきました。

 

 ここでいう、

 ――中流階級

 というのは――

 例えば――

 豊かすぎず、貧しすぎず――

 強すぎず、弱すぎず――

 賢すぎず、愚かすぎず――

 

 つまり――

 めぼしい評価軸で切り取った場合に、

 ――だいたい真ん中の辺りにいる。

 という意味での、

 ――中流階級

 である――

 ということは、5月30日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 この、

 ――中流階級

 というのは――

 王侯貴族や宗教指導者などで占められる、

 ――上流階級

 や――

 農民や賃金労働者などで占められる、

 ――労働者階級

 に対して用いられる呼称です。

 

 この、

 ――労働者階級

 は、

 ――下流階級

 と呼ばれても良さそうなのですが――

 少なくとも日本語圏では――

 そのように呼ばれることは稀です。

 

 とはいえ――

 ここでいう、

 ――上流

 ――中流

 ――下流

 を、

 ――権力による国富の分配の流れ

 や、

 ――権力による命令や号令の流れ

 に関連づけて考えるならば、

 ――労働者階級

 を、

 ――下流階級

 と呼ぶことに――

 それほどの違和感はありません。

 

 少なくとも、

 ――第一次政権革命

 が起こった17世紀のイギリスでは、

 ――労働者階級

 は、国富の分配の下流にいましたし、命令や号令の下流にいました。

 

 ところが、

 ――第二次政権革命

 が世界各地で起こった20世紀中盤以降、

 ――労働者階級

 を、

 ――下流階級

 と捉えるのに無理が生じ始めます。

 

 とくに、

 ――市民革命

 ないし、

 ――政権革命

 が成就をされた国々では、

 ――中流階級

 と、

 ――労働者階級

 との境目が曖昧になりました。

 

 むしろ――

 その境目に留意をする意義が、ほぼなくなったといえます。

 

 よって、

 ――第三次政権革命

 を考える上で、僕らは、

 ――中流階級

 の「中流」の意味を少し考え直す必要がある、と――

 いえそうです。