マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“超国家共同体”の最高指導者は名誉職も同然かもしれない

 ――超国家共同体

 の最高指導者を決める選挙は、おそらくは間接選挙になり――

 その間接選挙の投票人は、

 ――旧国家圏

 の人々による直接選挙で決まるかもしれないが――

 ひょっとすると――

 例えば、意識調査の結果のようなもので、何となく決まってしまうかもしれない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――例えば、意識調査の結果のようなもので、何となく決まってしまうかもしれない――

 というのは、ちょっと過言のような気もしますが――

 

 (まあ、妥当ないい方じゃないか)

 と僕は考えています。

 

 前提にあるのは、

 ――超国家共同体

 の最高指導者は、

 ――その地位に誰が就いても、ほぼ一緒――

 と考えられることです。

 

 いいかえると――

 

 ――超国家共同体

 の最高指導者は、

 ――名誉職も同然かもしれない。

 ということですね。

 

 なぜ、そういえるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 現代に実在をしている国家では――

 最高指導者が名誉職も同然になるようなことは、まず起こりません――国家元首が名誉職も同然になっている国家は数多くありますが、そういう国家では行政権の全般を統べる役職が他にあります。

 

 最高指導者は、通常、

 ――国家の顔

 であり、行政権の全般を統べます。

 

 よって――

 その地位に誰が就くかが大問題となります。

 

 が、

 ――超国家共同体

 では――

 最高指導者は、

 ――超国家共同体の顔

 とは認識をされにくいでしょう。

 

 国家の最高指導者が“国家の顔”と認識をされうるのは――

 行政権に外務――例えば、国家間交渉など――が含まれるからであり――

 また、自分たちの国家を他の国家よりも豊かで、強くて、満ち足りたものにしようとする原理――競争原理――が働くからです。

 

 ――超国家共同体

 には――

 そのような原理は働きません。

 

 地球外文明との交流でも始まれば話は別ですが――

 そういうことでもない限り、

 ――超国家共同体

 の最高指導者は、ただひたすらに地味な役割――社会利害の調整役や各種紛争の仲裁役など――を果たし続けていく地位なのです。

 

 そういう地位なので、

 ――誰が就いても、ほぼ一緒――

 というのは、そんなに間違ったいい方ではない、と――

 僕は考えます。