マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋もあぶないの?

 世の中のお父さん、お母さん、お祖父(じい)さん、お祖母(ばあ)さんの多くが、子どもから、

 ――赤ちゃんの授かり方

 をきかれて困(こま)ってしまう理由の1つは、

 ――性交(せいこう)は、あぶないことだから――

 である、と――

 きのう、のべました。

 

 ――あの人と性交をしたい。

 という体の反応は、

 ――あの食べ物を口に入れたい。

 とか、

 ――つかれたから眠りたい。

 とかいった体の反応よりも、はるかに強いことは――

 きのう、のべた通りです。

 

 とても強い反応なので――

 おさえるのが難(むずか)しい――

 

 だから、

 ――「性交」の話は、あえて子どもにするべきではない。

 と、世の中のお父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さん、あるいは学校の先生たちの多くが考えている――

 とも、のべました。

 

 ここまで、のべると、

 ――なんか、ヘンだよ。

 と感じ始める人もいるでしょう。

 

 例えば、

 ――大人が「性交」の話をしたがらないのは、性交があぶないからだと、わかった。でも、「あの人と性交をしたい」という熱い思いが「恋(こい)」なんでしょう? だったら、恋もあぶないの?

 という疑問(ぎもん)です。

 

 これは、とても良い疑問です。

 

 実は、

 ――恋

 が、

 ――あの人と性交をしたい。

 という熱い思いのことであると、よくわかっている人は、

 ――恋もあぶない。

 と考えます。

 

 が――

 なかには、

 ――恋

 と、

 ――あの人と性交をしたい。

 という熱い思いとを分けて考えたがる人もいるのです。

 

 分けて考えている人は、

 ――「恋」はいいけど、「性交」はダメ――

 と、つい、いってしまいます。

 

 もし、あなたのお父さんやお母さん、あるいはお祖父さんやお祖母さんが――

 そのように考えている場合は、次のように考えるとよいでしょう。

 ――その「恋」は、「愛に包まれた恋」のことである。

 と――

 

 3月4日に、のべたように、

 ――愛に包まれた恋

 のことを、ぼくは、

 ――恋愛(れんあい)

 と呼んでいます。

 

 ――「恋」はいいけど、「性交」はダメ――

 というときの「恋」は、ほとんど全て――

 この、

 ――恋愛

 のことをいっています。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』