マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本当の戦争の様子

 人やヒトのことを深く知ろうと思ったら、

 ――人の歴史(れきし)

 は、さけて通れない――

 と、きのう、のべました。

 

 ここでいう、

 ――ヒト

 とは、5月1日に、のべたように、

 ――生き物としての人

 という意味です。

 

 ところで――

 

 おとといも、きのうも、のべたように、

 ――人の歴史

 は、

 ――戦争の記録

 と、ほぼ同じです。

 

 ――戦争の記録

 をたどるのは、とてもツラい――

 

 ……

 

 ……

 

 いま、

 ――“戦争の記録”をたどるのは、とてもツラい。

 と、のべました。

 

 そのようにきいて、ピンとこない人もいるでしょう。

 

 なにを隠(かく)そう――

 ぼく自身が、そうでした。

 

 ぼくは、10 才くらいのときに、

 ――人の歴史

 に強い関心をもちました。

 

 そして――

 日本の歴史や世界の歴史について、いろいろと調べ始めました。

 

 つまり、

 ――日本の戦争の記録

 や、

 ――世界の戦争の記録

 について、いろいろと調べ始めたのです。

 

 そして、

 (面白い!)

 と思いました。

 

 少なくとも、

 ――“戦争の記録”をたどるのは、とてもツラい。

 とは思わなかった――

 

 が――

 学校の同じクラスの女の子たちは、

 「歴史の本はイヤだ。だって、人が殺(ころ)しあう話ばっかりなんだもん」

 と、いっていました。

 

 (何、いってるんだろう?)

 

 その女の子たちの言葉の意味が――

 ぼくには、よくわかりませんでした。

 

 (そりゃぁ、たしかに歴史の本には人が殺しあう話が多いけれど、歴史って、そういうものだから、仕方ないじゃないか)

 と思ったのです。

 

 女の子たちがいっていたことは――

 そういうことではありません。

 

 歴史に殺しあいの話がつきものであろうと、なかろうと――

 とにかく、殺しあいの話がイヤであったのです。

 

 そういう話は、みるものきくのも、イヤであったのです。

 

 それは、

 ――本当の戦争の様子

 をみたりきいたりして――

 それをくわしく思い浮かべてみれば、わかります。

 

 ――本当の戦争の様子

 というのは、みたりきいたりするのもイヤになるくらいに、おそろしいのです。

 

 ――歴史って、そういうものだから、仕方ないじゃないか。

 と思っていたぼくは、

 ――本当の戦争の様子

 をしっかりと思い浮かべてはいませんでした。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』