マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

話しあいに強い人:そんなに多くはいない

 ほとんどの民主主義の国では、

 ――“話しあいに強い人”をどうやって選ぶか。

 が大問題になっている――

 と、きのう、のべました。

 

 この「大問題」の中身は、大きくわけて2つあります。

 

 1つは――

 きのうも、のべたように、

 ――“話しあいに強い人”は、そんなに多くはいない。

 という問題――

 

 もう1つは――

 きのうは、のべませんでした。

 

 ――だれが話しあいに強いかを見きわめることが、けっこう難(むずか)しい。

 という問題です。

 

 もし、1つめの問題がなければ――

 つまり、

 ――“話しあいに強い人”は、けっこう多くいる。

 と、みなせるならば――

 2つめの問題は消えてしまいます。

 

 話しあいをする代表者をくじ引きで選んでしまえばよいのです。

 

 だれが話しあいに強いかを見きわめようとはせずに――

 くじ引きて適当(てきとう)に代表者を選んでしまっても――

 そのようにして選ばれた代表者たちの中に、かなりの数で、

 ――話しあいに強い人

 が含(ふく)まれているに違(ちが)いないからです。

 

 が――

 実際(じっさい)には、

 ――話しあいに強い人

 は――

 そんなに多くはいない――むしろ、かなり少ない――

 

 よって――

 くじ引きで適当に代表者を選んでしまったら――

 選ばれた代表者たちの中に、

 ――話しあいに強い人

 は1人もいなかった――

 ということになるのです。

 

 そのような代表者たちで集まって、いくら話しあったところで――

 話しあいに決着がつくことはないでしょう。

 

 少なくとも――

 しっかりとした決着はつかない――

 

 その話しあいによって多くのことがわかりあえる、ということはなく――

 その結果、話しあった人たちや、その周りにいる人たちに、良いことが多くもたらされる、ということもありません。

 

 話しあいだけが、ただダラダラとつづけられることになります。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』