マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義:「みんなのことは、みんなで話しあって決める」

 ――話しあいの決着をつけること

 は、かなり難(むずか)しく、

 ――話しあいに強い人

 どうしで話しあわないと、

 ――話しあい

 の決着がつくことは、なかなかない――

 と、きのう、のべました。

 

 これに対し、

 ――殺(ころ)しあい

 の決着がつくのは、よくあることです。

 

 人の歴史(れきし)をふりかえると、

 ――話しあい

 で決着がついたことよりも、

 ――殺しあい

 で決着がついたことのほうが――

 はるかに多いことがわかります。

 

 人は、古くから、

 ――話しあい

 ではなく、

 ――殺しあい

 に頼(たよ)って、多くの物事に決着をつけてきました。

 

 今でも、

 ――殺しあい

 に頼って物事に決着をつけようとする人たちは決して少なくありません。

 

 世界中を見わたしたら、

 ――話しあい

 で決着をつけようとする人たちより、

 ――殺しあい

 で決着をつけようとする人たちのほうが多いでしょう。

 

 幸いなことに――

 日本では、

 ――話しあい

 で決着をつけようとする人たちのほうが、はるかに多い――

 と考えられます。

 

 それは――

 日本が、

 ――民主主義(みんしゅしゅぎ)

 の国であるからです。

 

 ――民主主義

 というのは、物事の決着のつけ方に関する考えです。

 

 ――みんなのことは、みんなで話しあって決める。

 という考えを指します。

 

 つまり、

 ――話しあい

 をとても大切にする考えです。

 

 ――民主主義

 には、2つの方法があります。

 

 1つは、

 ――みんなのことは、みんなで話しあって決める。

 をまともにやろうとする方法です。

 

 本当に、みんなで集まって話しあう――

 

 もう1つは、

 ――みんなのことは、みんなで話しあって決めたいけれど、本当に、みんなで集まって話しあうのは大変だから、みんなの中から代表者を選んで、その代表者で集まって話しあう。

 という方法です。

 

 今――

 民主主義の国のほとんどは、この2つめの方法をとりいれています。

 

 その理由は――

 たしかに、

 ――本当に、みんなで集まって話しあうのは大変だから――

 なのですが――

 実際には、

 ――“話しあいに強い人”は、そんなに多くはいないから――

 なのですね。

 

 つまり――

 ほとんどの民主主義の国では、

 ――“話しあいに強い人”をどうやって選ぶか。

 が大問題になっているのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』