マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ぼくらは人である前にヒトである

 ――人と人とによって約束事が取りかわされているところ

 が、

 ――人の世の中

 である――

 と、きのう、のべました。

 

 そして――

 ここで、もし、

 ――人

 という言葉に、あえて意識(いしき)を向けないようにすれば――

 

 ――約束事が取りかわされているところ

 が、

 ――世の中

 である――

 と、なり――

 ひいては、

 ――世の中は約束事が全て――

 となる――

 とも、のべました。

 

 こうした見方は「完全に間違(まちが)っている」というわけではありません。

 

 人の世の中で、人として生きていると――

 たしかに、

 ――世の中は約束事が全て――

 と思いこんでしまうのは、仕方がないことなのですね。

 

 それだけ、人の世の中は“約束事”で、がんじがらめになっている――

 ということなのです。

 

 それら“約束事”を一つでも多く知って、わかっておけば――

 そのぶん、人の世の中は生きやすくなっていきます。

 

 が――

 きのうも、のべたように――

 実際(じっさい)には――

 ぼくらは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きているのですね。

 

 ――ヒト

 とは、

 ――生き物としての人

 という意味です。

 

 ――世の中は約束事が全て――

 と思いこんでいると――

 人は、思わぬところで、つまずいてしまいます。

 

 例えば――

 突然(とつぜん)の自然災害(しぜんさいがい)には正しく対応をすることができません。

 

 ――あぶないときには、役所の人たちが「避難(ひなん)して下さい」といってくれる約束事になっているから――

 と思いこんでいたら――

 突然の洪水(こうずい)で命を落とすことになるかもしれないのです。

 

 役所の人たちにも、わかっていることや知っていることには限界(げんかい)があります。

 どんなときでも、自然災害の危険(きけん)を正しくとらえ、避難の指示(しじ)を正しいタイミングで出してくれるとは、かぎらないのですね。

 

 では――

 そのように思わぬところで、つまずかないようにするには――

 どうしたらよいでしょうか。

 

 いいかえると――

 

 ぼくらは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きている――

 ということをわすれないようにするには――

 どうしたらよいでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 つづきは、あす――

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』