マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理科:その教科の名前は変えたほうがよい

 ぼくらは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きている――

 ということをわすれないようにするには、

 ――社会だけでなく、理科もしっかり勉強をすること

 が必要である――

 と、きのう、のべました。

 

 それは、

 ――社会

 が、

 ――ヒトに固有の生態(せいたい)

 であることをわかっていれば――

 すぐに、わかることです。

 

 ――ヒト

 というのは、

 ――生き物としての人

 であり、

 ――生態

 というのは、

 ――生き物たちが集まって生きている様子

 であるから――

 

 ――ヒトに固有の生態

 である、

 ――社会

 が、自然の環境(かんきょう)の中にあることは――

 明らかでしょう。

 

 そして、

 ――自然

 について勉強をするのが、

 ――理科

 です。

 

 よって――

 主要教科としての「社会」が大切であれば――

 主要教科としての「理科」も大切であることは明らかです。

 

 ――理科

 は――

 その教科の名前によって、損(そん)をしているようなところがあります。

 

 ――「理科」って、要は理屈(りくつ)の勉強だろ? 一歩まちがえると屁理屈(へりくつ)ばっかり覚えてしまうから、ろくでもない。

 と思っている大人もいるようです。

 

 日本語を話している人たちの間では、どういうわけか、しばしば「理屈」が嫌(きら)われるので――

 理科も嫌われやすいのですね。

 

 実は、ぼくは、

 ――「理科」という名前を「自然」という名前に変えたほうがよい。

 と考えています。

 

 ――自然

 という言葉は――

 日本語を話している人たちの間でも――

 とくに嫌われている、ということはありません。

 

 むしろ、好かれているのではないでしょうか。

 

 ――社会

 について勉強をするのが、

 ――社会

 であり、

 ――自然

 について勉強をするのが、

 ――自然

 であるといえれば――

 わかりやすくてよい、と思うのですが――

 どうでしょう?

 

 主要4教科は、

 ――国語・算数・自然・社会

 とするのが一番である、と――

 ぼくは思っています。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』