マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

まんべんなく勉強をするのが大人には難しい

 ぼくらは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きている――

 ということをわすれないようにするには、

 ――社会だけでなく、理科もしっかり勉強をすること

 が必要である――

 と、おととい、のべましたが――

 

 これは、あくまでも、みなさんくらいの年令の人たち――小学校や中学校に通っている人たち――について、いえることです。

 

 大人については――

 ちょっと難(むずか)しいのですね。

 

 みなさんくらいの年令の人たちは、小学校や中学校に通っているので――

 その気になれば、さまざまな種類の勉強をまんべんなくできるのですが――

 

 大人になると――

 それが、とても難しくなります。

 

 理由は、小学校や中学校に通っていないからです。

 

 もちろん、「学校に通っていないから勉強ができない」ということではありません。

 

 その気になれば、大人でも、どんどん勉強をすることはできます。

 

 むしろ――

 勉強は子どものときからやってきたことですから――

 多くの大人は、みなさんくらいの年令の人たちよりも、ずっと上手に勉強をすることができるのです。

 

 が――

 学校に通っているわけではないので――

 さまざまな種類の勉強をまんべんなくすることが、とても難しいのですね。

 

 つい自分がやりたい勉強だけをやってしまいがちなのです。

 

 自分たちは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きている――

 ということをわすれないようにするには――

 社会だけでなく、理科の勉強も――つまり、社会についてだけでなく、自然についての勉強も――十分にしなければならないのですが――

 なかなか、そうはいきません。

 

 理科の勉強が嫌(きら)いになってしまった大人は――

 どうしても理科の勉強ができないのですね。

 

 よって、

 ――自然

 については、よくわからないままでいる――

 

 が――

 

 ――社会

 については、よくわかっている――

 

 ――ヒトの生態(せいたい)

 を、

 ――社会

 という固有の生態に変えている数多くの“約束事”については――

 十分すぎるくらいに、よくわかっている――

 

 よくわかっているから――

 

 自分は勉強が十分でないとは、夢(ゆめ)にも思わない――

 

 社会についてばかり勉強をしている大人が――

 自分たちは人である前にヒトであり、社会に生きている前に自然に生きている――

 ということをわすれないようにするのは――

 実は、ものすごく難しいのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』