マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どうせ学校に行くのなら――

 ――10 才くらいのみなさんには、なるべく早いうちから、生きた学問(がくもん)に関心をもってほしい。

 と、ぼくは思っていると――

 きのう、のべました。

 

 ――生きた学問

 というのは、

 ――学説(がくせつ)が次々と変わっていく学問

 という意味です。

 

 ――学説

 というのは、

 ――学者たちが主張をしている考えのこと

 です。

 

 ――生きた学問

 では、学者たちの主張が次々と変わっていくのです。

 

 3年前には、

 ――当たり前

 とされていた考えが――

 今では、すっかり、ひっくり返されている――

 

 ――つい、この間まで「当たり前」とされていた考えが、実は、まちがっていたんだよね。

 というようなことが、

 ――生きた学問

 では起こりうるのです。

 

 これに対し――

 100 年前とか 300 年前とかに、

 ――当たり前

 とされていた考えが――

 今でも、

 ――当たり前

 とされているような学問もあります。

 

 そのような学問は、

 ――生きた学問

 とはいいせん。

 

 あまり、よい言い方ではありませんが――

 それは、

 ――死んだ学問

 というのが正しいでしょう。

 

 ――死んだ学問

 ばかりをみていると――

 学問の面白さが、わかりません。

 

 ――生きた学問

 をみなければ――

 学問の面白さは、ぜったいに、わからない――

 

 学問の面白さが、わからなければ、

 ――なぜ人は学問をするのか。

 ということが、わかりません。

 

 ――なぜ人は学問をするのか。

 ということが、わからなければ――

 目の前の学校の授業も、その授業の意味も――

 本当のところは、決して、わからないはずです。

 

 そのうちに、まよいが生じて、

 ――なんで学校なんか行かなきゃいけないの?

 と、なってしまう――

 

 それは、もったいないことです。

 

 どうせ学校に行くのなら――

 面白がって、楽しんで行くのがよいでしょう。

 

 そのために、なるべく早いうちから、

 ――生きた学問

 の活気に、ふれておくことが大切なのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』