マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どういった内容が「科学の仮説」と呼ぶに相応しいのか

 ――ABC予想

 は――

 他の“数学の予想”と比べれば、もちろんのこと――

 他の“科学(かがく)の仮説(かせつ)”と比べても――

 まさに、

 ――科学の仮説

 と呼(よ)ぶに相応(ふさわ)しい内容(ないよう)である――

 と、きのう、のべました。

 

 このように、のべると、

 ――それは、いったい、どういうこと?

 と、ふしぎに思う人が多いでしょうね。

 

 ――ABC予想

 について――

 どういった内容が、まさに「科学の仮説」と呼ぶに相応しいのか――

 

 あるいは――

 とくに、

 ――ABC予想

 に関わらず――

 そもそも――

 どういった内容が、

 ――科学の仮説

 と呼ぶに相応しいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 まずは――

 2つめの問いついて――

 つまり、

 ――どういった内容が「科学の仮説」と呼ぶに相応しいのか。

 について――

 のべます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――科学

 が本物であるためには、

 ――再現性(さいげんせい)

 と、

 ――反証可能性(はんしょうかのうせい)

 との2つのことが約束をされていなければならない――

 と、10月5日に、のべました。

 

 ――再現性

 および、

 ――反証可能性

 とは――

 ごく簡単(かんたん)にいってしまうと――

 ――何回でも繰(く)りかえすことができて、その度に、結果は、いつでも同じである、ということ

 および、

 ――まちがっているときは、どこがどんなふうにまちがっているのかが、ハッキリとわかる、ということ

 です。

 

 ということは――

 

 ――科学の仮説

 というのは――

 

 ――再現性

 があるために、今の時代を生きる世界中の人たちによって理解(りかい)をされ、

 ――反証可能性

 があるために、後(のち)の時代を生きる人たちによって修正(しゅうせい)をされうる――

 といえます。

 

 ということは――

 

 ――科学の仮説

 というのは、

 ――世界中の人たちによって、いったんは理解をされ、その後、いつかは必ず修正をされる。

 ということです。

 

 ここで注意をするべきは――

 

 ――科学の仮説

 は、ふつうは――

 人の世界観(せかいかん)を形づくっている――

 ということです。

 

 ――人の世界観

 というのは、

 ――例えば、自然のことや社会のことに対する人の観方(みかた)

 です。

 

 ――科学の仮説

 が修正をされる、ということは、

 ――人の世界観

 が変わる、ということです。

 

 つまり――

 いかにも“科学の仮説”らしい、

 ――科学の仮説

 というは、

 ――人の世界観

 に深く関わっていて――

 しかも、その世界観は、あるときに急に変わってしまうかもしれない予感を秘(ひ)めている――

 といえるのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』