もし――
ぼくらの祖先(そせん)が、
――掛(か)け算から始まっていて、かつ“/・進法(しんほう)”が中心になっている算数・数学
というものをつくりだしていたとしたら――
ぼくらの祖先は、2 本ずつ束(たば)ねられていく 32 本の“指”をもっていたに違(ちが)いない――
と、きのう、のべました。
実際(じっさい)には、1 本ずつ別々(べつべつ)に動かせる 10 本の指をもっていたので――
ぼくらの祖先がつくりだした算数・数学は、10 進法が中心になっている――
ということです。
ぼくらは、1 本ずつ別々に動かせる 10 本の指をもっているので――
2 本ずつ束ねられていく 32 本の“指”は、とても奇妙(きみょう)に感じられます。
当然のことながら、
――掛け算から始まっていて、かつ“/・進法”が中心になっている算数・数学
を不自然と感じますが――
その 32 本“指”の持ち主たちからすれば、
――足し算から始まっていて、かつ 10 進法が中心になっている算数・数学
こそを不自然と感じるはずです。
つまり――
どんな算数・数学を自然と感じるかは――
どんな体をもっているかによって変わってくる――
ということです。
このように考えていくと――
もし、この宇宙(うちゅう)に、ヒト以外の知的生命体が数多く存在(そんざい)をしていたら――
この宇宙は、いろいろな算数・数学で、あふれていることでしょう。
1 本ずつ動かせる 10 本の指をもっているのか――
2 本ずつ束ねられる 32 本の“指”をもっているのか――
あるいは――
2 本ずつ動かせる 32 本の“指”をもっているのか――
3 本ずつ束ねられる 54 本の“指”をもっているのか――
その体によって――
つくりだす算数・数学は違(ちが)っているはずです。
『10 歳の頃の貴方へ――』