マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

体育は脳にとって“通風装置”である

 脳(のう)にとって――

 算数・数学が、

 ――窓(まど)

 であるならば――

 音楽は、

 ――伝音装置(でんおんそうち)

 であり――

 その“装置”は、

 ――人の気持ち

 を伝えることに特化をしている――

 と、きのう、のべました。

 

 これに対し――

 体育は、

 ――通風装置(つうふうそうち)

 である――

 ということは――

 12月19日以後、くりかえし、のべてきました。

 

 ――伝音装置

 が、

 ――音

 を伝えることに特化をしているように――

 

 ――通風装置

 は、

 ――風

 を通すことに特化をしています。

 

 ここでいう、

 ――風

 というのは――

 12月8日に、のべたように――

 ――数や形に関わる情報(じょうほう)

 のことです。

 

 つまり、

 ――体育は、数や形に関わる情報を通しはするが、人の気持ちは、ほとんど伝えない。

 ということですね。

 

 もちろん――

 まったく人の気持ちを伝えない、ということはありえません。

 

 スポーツ選手の人たちの本気のプレーに、観客の人たちの心が動くということは、いくらでもあります。

 そのときにスポーツ選手の人たちの気持ちが観客の人たちに伝わっていないわけはありません。

 

 が――

 プレーそれ自体は、気持ちでやるものではありません。

 

 どんなタイミングで、どんなふうに体を動かすと、どんなプレーができるのか、ということは――

 実は、

 ――数や形に関わる情報

 なのです。

 

 その情報に、

 ――人の気持ち

 が、間接的(かんせつてき)に関わることはありますが――

 直接的(ちょくせつてき)に関わることはありません。

 

 それは――

 例えば――

 どんなタイミングで、どんなふうに体を動かすと、どんなプレーができるのかということを、よくわかっていない人が、ただ気持ちをこめさえすれば、どんなプレーでもできるようになる――

 ということが、ふつうはありえないことからも――

 よくわかります。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』