時間は、物語の重要な要素である。
物語に、時間の経過が、しっかりと折り込まれていれば、そのぶんだけ、物語は深みが増す。
僕らは日頃どうやって時間の経過を意識しているか。
時計というものがあるので、つい、それで意識していると思いがちである。
たしかに、そうした一面はある。
が――
人間は、時計が発明される前から、時間の経過を意識していたはずだ。
その「意識された時間」を形にしたものが、時計であったと考えられる。
時計の発明以前には、人間は、どうやって時間の経過を意識していたか。
おそらく、周囲の人間たちの営みの移ろいによって――
そして、それによってのみ――であろう。
子が生まれ、育ち、つがい、子を生み、育て、老い、死んでいく――そうした人間たちの営みをみて、人間は時間の経過を意識してきたのでないか。
もう少し生々しくいえば――
自分の親や同胞や友人たちが年老いていくのをみて――ということである。
時間は物語に折り込まれるといった。
が、実際は逆だと思っている。
時間が物語を折り込むのだ。
人間が、周囲の人間たちの営みの移ろいから感じとるものが物語だとするならば――
そういうことになる。