マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

北朝鮮の暴発を招かぬために

 北朝鮮が核実験の実施を宣言した。
 北東アジアの情勢が緊迫している。

 報道によれば――
 日本国政府は、今日、独自の経済制裁に踏み切ると共に、いわゆる国連安保理の制裁決議に向けて関係各国に働きかけている。
 こうした動きは北朝鮮の態度を、ますます硬化させるに違いない。

     *

 今の北朝鮮には既視感が漂う。
 65年前の日本にそっくりだ。

 もちろん、具体的な状況は異なる。
 65年前の日本に核実験の事実はない。また、当時の国際連盟に、今の国際連合ほどの機能はなかった。

 とはいえ――
 国際的に孤立し、敵対諸国の圧力を受け、今にも暴発しそうな北朝鮮は――
 65年前の日本に似ている。

 その後の日本は、どうなったか。

 実際に暴発し、敵対諸国と刃を交え、結局、東アジア全域に多くの犠牲者を出した。
 歴史が語る通りである。

 気になったことがある。
 今日、保守系報道機関の発したコメントの中に、

 ――北朝鮮の暴発を食い止めるには圧力が必要だ。

 との論調があった。

 浅慮である。

 昨今の北朝鮮の振る舞いには合理性が乏しい。
 どうも破滅を覚悟した嫌いがある。

 破滅覚悟の国家に圧力をかければ、どうなるか――
 その帰趨を、僕ら日本人は、よく知っている。自分たちの祖先の過ちを思い起こせばよい。

 もちろん――
 ある程度の圧力は、やむをえぬ。

 いきなり核実験の実施を宣言されたからといって、急に掌を返すような真似はできぬだろう。
 国家には体面というものもある。

 が、対話なき圧力は危険だ。
 宣戦布告に等しい。

 放っておいても圧力はかかる。
 これまでの経緯から、国際社会が北朝鮮に対し、今後も圧力をかけ続けることは必至である。
 今となっては、むしろ対話のチャンネルを保ち続けることのほうが難しい。

 僕らが、すべきことは何か。

 日本国政府が対話のチャンネルを閉ざしたりせぬように監視することだ。
 北朝鮮を庇うためではない。我が身を守るためである。

 対話のチャンネルを閉ざせば、北朝鮮の暴発の可能性は極めて高くなる。

 ひと度、暴発を招けば、取り返しがつかぬ。
 上空に核弾頭が飛来することも、ありえぬ話ではない。

 破滅覚悟の国家に理性は期待できぬ。
 65年前の日本が、そうであった。