マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

なぜ人は尊大になれるのか?

 なぜ人は尊大になれるのだろう?

     *

 しばしば――
 尊大な人をみかける。

 何を隠そう――
 僕自身、尊大にみられることが多々ある。
 たぶん、僕の人格は尊大な一面を含んでいるであろう。

 だからこそ――
 余計に考えておきたい。

 なぜ人は尊大になれるのか?

     *

 元来、人は尊大になどは振る舞えぬ。
 人とは、そういう存在である。

 いつ死ぬともわからぬ。

 大きな自然災害が起これば、人は簡単に死ぬ。
 国同士に激しい争いが起これば、人は簡単に死ぬ。

 それだけではない。
 明日、交通事故で死ぬかもしれぬ。
 来週、犯罪に遭って死ぬかもしれぬ。
 来月、急病で死ぬかもしれぬ。

 誰かの気まぐれで――
 あるいは、何かの偶然で――
 人は容易に死んでしまえる。

 一度、死んだらオシマイだ。
 生き返ることは決してない。

 人とは――
 かくも、はかなき存在である。

 この事実を忘れるとき――
 人は尊大になる。

 未来永劫、いつまでも、この世にあれると誤解するとき――
 人は尊大に振る舞える。

     *

 ――死を思え。

 という。
 ラテン語で、

 ――メメント モリ(Memento mori

 というそうだ。
 色々な文脈で使われる。

 ――生を享受せよ。

 とか、

 ――時間を浪費するな。

 とか――
 もう一つ、

 ――謙虚たれ。

 を加えても、よいかもしれぬ。