30歳をすぎたあたりから、
――メメント・モリ
という言葉が、ずっと気になっています。
もともとはラテン語で「Memento mori」と表記するのだそうです。
様々な訳語が当てはめられているようですが――
僕の訳語は「死を思え」――
――自分が死ぬ存在であることを常に弁えて生きよ。
という警句だと解釈をしております。
つまり――
いつ死んでもいいように日頃から準備をしておくのがよいということです。
そう思って、きょうまで生きてきたつもりですが――
きょう、ふと思ったのです。
「いつ死んでもいいように」ということは、
――あす死んでもいいように。
ということですよね。
それは、基本的には、自分一人のために生き続けるということに他なりません。
例えば、結婚をし、子をなしたりしたら、とても「自分一人のために」というわけにはいかない――
結婚をし、子をなしてなお、「あす死んでもいいように」を実践するためには――
自分の寿命に限りがあることをつねに意識しておくだけでなく――
自分の家族に対しても、自分が死んだ場合の対応について、日頃から十分に考えておくように迫っておく必要があります。
それは、家族にとっては、かなりの負担でしょう。
「メメント・モリ」というのは、自分だけでなく家族にも覚悟を求めるという点において、何とも重苦しい警句です。