マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治の「ゴタゴタ」を嘆いたところで

 けさTVをみていたら、ある作家さんが、

 ――震災後の政治のゴタゴタは何だ! みっともない!

 といった主旨の発言をされていました。
 どうやら、先頃に衆院で内閣不信任案が採決された経緯のことをいっておられるようでした。

 その作家さんは、大変に筆力のある方で、後世に名を残されることは、ほぼ間違いないと思ってはおりますが――
 政治に関するご認識については、
(いま一つだな)
 と思わざるをえません。

 以前に拝読した著作の筆致を思い出し、
(もしかすると、この方は人間ぎらいなのかもしれない)
 とも思いました。

 ――人間ぎらいなのに、著名な作家になれるのか。

 とお考えの向きもありましょうが――
 実は、人間ぎらいの人ほど人間の実像を巧みに描き出せる、という考え方があるのです。

    *

 一般に――
 人間ぎらいの人は、政治には積極的には関わらないものでしょう。

 ここでいう「政治に積極的に関わる」とは――
 例えば、政治家や政治ジャーナリスト、あるいは特定の政治家の後援者や重要な官公庁の職員として活動する、ということです。

 政治に積極的に関わり、優れた業績を挙げている人たちの多くは――
 人間ずきであろうと思います。

 人間ずきとは、人間の美点を素直に信じ、人間の欠点を笑って許せる性質のことです。

 そのような性質を備えていない人たちにとって――
 政治は苦行以外の何物でもありません。

 よって――
 ふつうの人なら、自分が人間ぎらいであることを強く自覚していれば、あえて政治に関わろうとはしないものです。

 が――
 世の中は、そう簡単ではないのですね

 実に困ったことに「自分は人間ぎらいだけれどれも、政治に積極的に関わってみたい」というような人たちが、いるのですね。
 あえて「苦行」に挑もうとする人たちです。

 なぜ、そういう人たちが出てくるのか――

 それは――
 政治が社会に属する全て人々の利害を調整する営みだからでしょう。

 政治に積極的に関わっていれば、社会の隅々から、大なり小なり、注目を集めうる――
 そうした特質が、政治という営みを難しいものにしています。

 功名心に突き動かされ、政治という名の「苦行」に駆り立てられている人たちが、少なからずいて――
 そういう人たちの存在こそが、政治の撹乱因子になっている――

 そうした現実を無視して政治を語っても、さして意味はありません。

 なぜならば――
 そうした撹乱因子も含めて、

 ――政治

 なのですから――

    *

「震災後の永田町のゴタゴタは何だ! みっともない!」と嘆いたところで――
 それは自己満足に終わります。

 政治を語る上で問われることは――
 政治が抱える宿命的課題への洞察と、その洞察に基づく解決策の提示です。

 なぜ「永田町」は「震災後」であるにも関わらず「ゴタゴタ」になってしまうのか――
 そうした「ゴタゴタ」は、どうしたら最小限に食い止められるのか――

 くだんの作家さんには、その問題意識がピンとこなかったのかもしれません。