マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

易しさと正しさと

 医学書や医療本は、いくらでもヤヤコシく書ける。

 術語の数は膨大で、しかも意味がわかりづらい。
 論理も、物理学や数学ほどではないにせよ、それなりに入り組んでいる。
 だから、正確を期して書こうと思えば、いくらでもヤヤコシくなる。
 ヤヤコシくなってしまう。

 医療従事者や学識経験者が対象なら、それでもよかろう。
 ヤヤコシくコンガラガったものを、一つひとつ丁寧に解(ほぐ)していく喜び――というものはある。

 が、書店で気軽に手にとる読者が対象なら――
 そういうわけにはいかない。

 正確を期すのもホドホドに――ということになる。

 ある名門大学の医学部の助教授から、別の名門大学の教授になったばかりの人が――
 雑談がてらにシミジミと話していたことを思いだす。

 曰く、

 ――僕は話をドンドン簡単にしてしまうんよ。

 と――

「話」というのは、学説の類いのことである。
 学説とは、学者が自らの学者生命を賭し、世に問うものだ。

 それを、「ドンドン簡単にしてしまう」というのは、なかなかに勇気のいることである。

 ――ふん、あの学者、所詮、この程度か!

 とバカにされるのが恐いからだ。

 医学書や医療本は、それが簡単に書かれてあればあるほどに、良書といえる。
 難解に書かれてあるものには、一定の価値しかない。

 もちろん――
 いくら易しくても正しさが損なわれすぎていては本末転倒である。

 優れた医書は、易しさと正しさとの狭間に揺らいでいる。