毎日を少しでも楽しく生きようと思ったなら――
日々の変化に気づく感性を磨くのがよい。
日々の変化には、劇的な変化もあれば、僅かな変化もある。
劇的な変化は、誰もが、嫌でも気づくものだが――
その分、苦痛な体験であることが多い。
ヒトに限らず、およそ生命体というものは、外界の変化を好まぬ存在である。
生命というのは、内部環境の維持が本質だ。
内部環境を維持するためには、外界の変化を避けるのが最善である。
少なくとも、外界の突発的な変化は、生命体にとっては、単なる負荷でしかない。
外界の変化から、いかに我が身を守るのか――
それが、生命体の最大の関心事に思える。
そのようなわけで――
劇的な変化は歓迎すべからざるものになりがちだが――
僅かな変化であれば、さほどでもない。
例えば、空の雲の流れといったような微小な変化であれば――
負荷には、なりようがない。
日々の僅かな変化を楽しもうとする発想の背景には――
外界の実相を理解し、それを受け入れたい、という態度があるように思う。
生命体にとっては、実に不本意なのだが――
外界は、環境の偶発的流転が本質だ。
そのような外界に、いわば揺り籠のような役割を期待しているのが、生命体の現状である。
生命体は、内部環境の維持という自身の本質を抱えながらも、環境の偶発的流転という外界の本質に、正面から向き合わねばならない。
生命体には、外界との対立が許されない。
だから――
生命体にとって、日々の僅かな変化を楽しもうとする発想は――
外界との和解を意味する。
いや――
逆かもしれない。
和解を意味するからこそ、楽しもうとする発想が生まれうるのかもしれない。