人は保守的だ。
少なくとも、そうみえる人は多い。
これを毛嫌いする人が、時にいる。
たぶん、自分は保守的でないと信じてのことであろう。
が、そのような人も、多くの場合は、保守的である。
少なくとも僕の目には、そう映る。
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保守的であるということを悪くとらえる必要はない。
それは、生命の原理といってもよい。
生命は、自身の体の内部の状態を、できるだけ一定に保とうとする。
この性質を恒常性とよんでいる。
人の保守的な振る舞いは、ヒトとしての体の内部の恒常性が、外部に拡張されたものであろう。
恒常性は生命の本質の核心である。
では、人は保守のみで生きられるのか。
答えは否である。
保守のみでは生きられない。
恒常性を保てないからだ。
ヒトを取り巻く環境が、全く恒常的ではない。
外部の環境の変化に対応するために、人は、ときに保守の殻を破って、革新的に生きねばならない。
つまり、恒常性のための革新である。
だから――
すべての人は、保守的とみてよいだろう。
たまに革新的になる。
必要に迫られて――
なので、
――あいつは保守的なヤツだ!
という悪口は、生命の本質に無頓着といってよい。
そんな悪口をいえる存在は、非生命体だけであろう。