マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人は保守的

 人は保守的だ。
 少なくとも、そうみえる人は多い。

 これを毛嫌いする人が、時にいる。
 たぶん、自分は保守的でないと信じてのことであろう。

 が、そのような人も、多くの場合は、保守的である。
 少なくとも僕の目には、そう映る。

     *

 保守的であるということを悪くとらえる必要はない。
 それは、生命の原理といってもよい。

 生命は、自身の体の内部の状態を、できるだけ一定に保とうとする。
 この性質を恒常性とよんでいる。

 人の保守的な振る舞いは、ヒトとしての体の内部の恒常性が、外部に拡張されたものであろう。
 恒常性は生命の本質の核心である。

 では、人は保守のみで生きられるのか。

 答えは否である。

 保守のみでは生きられない。
 恒常性を保てないからだ。

 ヒトを取り巻く環境が、全く恒常的ではない。
 外部の環境の変化に対応するために、人は、ときに保守の殻を破って、革新的に生きねばならない。
 つまり、恒常性のための革新である。

 だから――
 すべての人は、保守的とみてよいだろう。

 たまに革新的になる。
 必要に迫られて――

 なので、

 ――あいつは保守的なヤツだ!

 という悪口は、生命の本質に無頓着といってよい。
 そんな悪口をいえる存在は、非生命体だけであろう。