マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「好き勝手」や「思いのまま」を享受できるのは

 今日は夕方までは休みであった。

 久しぶりのことだ。

     *

 休みの日は、アっというまに時間が過ぎてしまう。

 それは、たぶん僕が独身だからだ。

 先日、僕より20歳くらい年上の既婚者が、正反対のことをいっていた。
 曰く、

 ――休みの日は、なかなか時間が過ぎていかない。

 と――

(さもありなん)
 と思った。

 一人なら、本当に好き勝手に過ごしていける。
 休日の過ごし方などは思いのままだ。

 好き勝手に――
 思いのままに――

 だから、時間が経つのも速い。

 が、この速さに慣れ、当たり前になっていくと――
 人は、なぜか寂しさが込み上げてくる。

(ちょっと速すぎやしないか?)
 という不安である。

 その不安は、たぶん自身の死への恐怖に直結している。

 人の持ち時間は、決して長くはない。

     *

 ――人は一人では生きられない。

 という。
 元々は、

 ――人は一人では非力なので、皆で協力しあわねばならない。

 というような意味であったろう。

 が、より本質的には、

 ――人は「好き勝手」や「思いのまま」を享受できる存在ではない。

 という意味だと、僕は思っている。

 人は、不自由を強いられ、実際よりも持ち時間を長く感じるほうが、たぶん幸せだ。

「好き勝手」や「思いのまま」を、真の意味で享受できるのは――
 神々や悪魔といった類いに限られる――
 そう思っている。