マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

医学や生物学での微妙な言い回し

 医学や生物学というのは――
 よい意味でも、わるい意味でも――
 微妙な言い回しが幅をきかせる学問である。

 今日、ネットのニュースをみていたら、

 ――統合失調症の原因遺伝子を特定

 との見出しが目に入った。

 ビックリした。

(……んなわけねえだろ!)
 と思いつつ――
 記事本文をみてみると、

 ――原因遺伝子の一つを特定

 とある。
 さらに、ニュース源の研究所のホームページを確認すると、

 ――原因遺伝子の一つと考えられる遺伝子を発見

 とあった。

 医学や生物学を専門に学んだ者にとって、

 ――統合失調症の原因遺伝子を特定した。

 と、

 ――統合失調症の原因遺伝子の一つと考えられる遺伝子を発見した。

 とでは、大違いだ。
 それは、例えば、

 ――彼女は男と寝ていた。

 と、

 ――彼女は電車の中で隣の男性客にもたれて居眠りをしていた。

 との違いに匹敵する。
 この違いは、男女の機微を多少なりとも心得ている者にとっては、無視できまい。

 もし、「統合失調症の原因遺伝子」が本当に「特定」されたのなら、

 ――え? もしかして人体実験したの?

 となる。

 ここでいう「人体実験」とは――
 例えば、統合失調症の原因遺伝子と考えられる遺伝子を人工的に傷つけることで統合失調症の発病が確認された――
 といったような人体実験である。

 もちろん、そのような実験は人道に反する。
 だから、実行されたりはしない。

(……んなわけねえだろう!)
 と、僕が思ったのは、そうしたわけによる。

 が、こうした人体実験を実行せぬ限り、「原因遺伝子を特定」などという表現は使えない。

 医学や生物学に疎遠な人なら、

 ――同じようなものでしょ。

 と一笑に付すかもしれない。

 たしかに、そうなのだ。
 この違いを無視できなくなるということが、医学や生物学を学んだということ――ひいては自然科学を学んだということ――である。
 医学や生物学を学んでいなければ、この違いは些事であると感じられるに違いない。

 ところで――
 今回の「統合失調症の原因遺伝子の一つと考えられる遺伝子を発見した」の一報は、驚きには値せぬと決めつけてよいものであろうか?

 答えは、否である。

 たしかに――
 例えば、「彼女」が電車の中で隣の男性客にもたれて居眠りをしていた場合に――
 その彼女が、単に強い眠気に襲われ、思わず、隣の見ず知らずの男性客にもたれかかっていた可能性はある。

 が、その男性客が恋人である可能性も否定はできない。
 一緒に旅行をしてきた帰りかもしれない。

 もし、そうなら――
 旅先で同衾していたとしても不思議はない。

 そのような意味では――
 驚きに値するといってよい。