今日、
――KY
といえば――
多くの人は、
――空気、読めない
のことだと理解するように思いますが――
建設・土木業界の人たちにとっては、そうではなく――
かなり以前から、
――危険予知
のことでした。
本当に、かなり以前からのようでして――
どうも1970年代のようなのですね。
一方、「空気、読めない」の意味の「KY」は――
2007年頃に定着しています。
つまり、「危険予知」のほうが「空気、読めない」より30年くらい早いようなのです。
にもかかわらず、「KY」のオリジナルは「空気、読めない」だと誤解している人が少なくないようで――
かくいう僕も――
ずっと誤解していました(苦笑
ある建設現場の近くを通り過ぎたときに、
――私たちはKYに努めています。
といった内容の標語が看板に書かれてあるのをみて――
「へえ~! 『KY』みたいな俗語を、あえて真面目な意味で使うとはな~!」
などと笑い飛ばした経験があります。
……
……
笑うべきは己の無知でした。
……
……
で――
そのときに、ふと思ったのですが――
この国で「空気、読めない」の「KY」が俗語として一気に定着したのは――
たぶん、「危険予知」の「KY」が建築・土木業界などで十分に定着していたからなのでしょうね。
言葉としての土台が、しっかりとしていたからこそ――
俗語に転用されるやいなや、恐ろしい速さで定着していったのだと思います。