ある種の人間は、危機的な状況に追い込まれると――
何かアイディアが、わいてくるものらしい。
学生時代、大学の教授が、
――われわれ学者は、追い込まれると、何か知恵が出てくるものなんだよ。
と笑っていたのを思い出す。
学会の直前になって、講演の内容がまとまるということは――
よくあることなのだそうだ。
学者だけではあるまい。
作家も、そうである。
たぶん、政治家も――
追い込まれるというのは、少なくとも表面的には、時間の問題である。
例えば、
――あと30日くらいで――
というのが、
――あと30時間くらいで――
になり、やがて、
――あと30分で――
となる。
そうやって時間的に追い込まれていく。
何かアイディアがわいてくるというのは、たぶん正しくはない。
無から有が突然うまれてくるわけではない。
例えば――
それまで、意識的には捉えれていなかったアイディアが、急に意識にのぼってくるとか――
それまで、無意識的に無価値と思い込んでいたアイディアを、急に意識して正当に評価する気になったりとか――
そういうことであろうと思う。
つまりは――
時間的に追い込まれることで、かえって冷静になっている――
ということではないか。
時間的に追い込まれると、ふつうの人なら、逆に我を忘れるものであろう。
が――
いつも時間的に追い込まれ、そうした状態に慣れきってしまっている人は――
かえって、そのほうが冷静になれるということである。
ただし――
いつも時間的に追い込まれる状態に慣れきってしまっている人というのは――
その状態が心身へ与えうる負担を考えると、ちょっと健全とはいいがたい。
時間的に追い込まれたら我を忘れるような人のほうが、健全な生活を送っているといって良さそうだ。