徹底的に作り込んだ物語というのは、笑いを誘うのに持ってこいだと思うのですよ。
少なくとも、涙を誘うよりは――
「作り込んだ」というのは、「ワザとらしいまでに計算し尽くされた」くらいの意味です。
虚構の「ワザとらしさ」は、笑いには、すんなりとマッチします。
ということは――
例えば、小説を徹底的に作り込むのが好きな作家は、ウイットやユーモアに重きをおくとよい――
ということになります。
そのほうが、自分のコダワリを存分に発揮できるに違いありません。
逆に――
作り込むのが、そんなに好きでない作家は、ウイットやユーモアを、あまり追求しないほうがよいでしょう。
自然と滲み出てくる程度で、十分ではないでしょうか。
僕個人は、作り込むのが、基本的には、好きではありません。
だから、ウイットやユーモアは、普段は、あまり追求しないようにしています。
が、たまに――
無性に作り込みたくなるときがあるのですよね。
そういうときは、読者が思いっきり笑ってくれるような小説を目指し、徹底的に頑張ります。
なかなか巧くは書けませんけれど――
でも、ワザとらしさ前面に押し出せる快感というのは、他では、なかなか味わえるものではありません。
結構、ハマります。
喜劇役者やお笑い芸人の活力の源も、その辺にあるのでしょうね。