マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

バッド・エンドへの偏向

 物語にはハッピー・エンドとバッド・エンドとがありますね。

 僕はバッド・エンドが好きなのですが――
 世の中の多くの人々は、ハッピー・エンドをお好みのようです。

(なんで、みんなハッピー・エンドが好きなわけ?)
 などと真剣に悩んだりしたこともありまして――(笑

 で――
 その折に、ツラツラと考えてみたわけですが――

     *

 物語というものは、現実の人々の生き方に影響を及ぼします。
 もちろん、現実の人々の生き方が、虚構の物語の在り方に、ある種の定型を供することもありましょうが、実際には、逆のほうが圧倒的に多いようです。

 物語は作り物ですから、かなり精巧にできていますが――
 現実の人々の生き方は作り物ではありませんから、さほどに精巧ではありません。

 精巧な「物語」をみて、

 ――あんなふうな人生を過ごしたい。

 と思うことは珍しくなくても――
 精巧でない「生き方」をみて、

 ――あんなふうな物語を描きたい。

 とは、なかなか思わないでしょうね。

 つまり、物語というものは、基本的には、人の生き方の規範のような役割を負っている――
 よって、バッド・エンドよりもハッピー・エンドが好まれるのは、当然です。

 誰が好んでバッド・エンドな人生を目指しますか。
 僕だってイヤですよ(笑

 でも、僕は、物語はバッド・エンドが好きなのですね。

 理由は、僕が、幼い頃から、自分の手で物語を作ってきたからでしょう。
 物語の作り物としての性質を、僕は過剰に意識しています。

 それゆえに、物語を虚構の世界で完結させることが習慣になっているのです。
 バッド・エンドの後味が現実の世界に滲み出てくることもない――

 バッド・エンドに平静でいられるのは、そのためでしょう。

 いや――「平静でいられる」なんてものじゃない――
「存分に楽しんでしまう」というのが、実態です(笑

 バッド・エンド好きは、筋金入りなのでしょうね。

 ホントに大好きなのですよ。
 何しろ、一頃、そんな物語ばかりを小説に書いていましたから――

 今でも、バッド・エンドに胸がときめきます(笑