マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

またしても痛ましい事件

 またしても痛ましい事件があったのですね。

 JR岡山駅で、仕事帰りの男性がホームから突き落とされ、列車に轢かれて亡くなりました。
 突き落としたのは、この春に大阪の高校を卒業した少年で、例によって、

 ――殺すのは誰でもよかった。

 と供述しているようです。

 最近、こういう事件の報道が多いですね。
 本当に気分が暗くなります。

 殺された男性は、たまらなかったはずです。なぜ自分が死ぬことになったのか、理解する暇さえなかったでしょう。
 ご本人の戸惑いを思えば、ご遺族もやりきれません。

 こういう事件の報道に触れると、つい考えてしまうことがあります。
 それは、

 ――「なぜ人を殺してはいけないのか?」と質問されたときに、どうするべきか。

 ということです。

 もちろん、この少年が人を殺してはいけない理由をわかっていなかったと決めつけることはできません。
 が、実際にやったことだけを取り上げれば、

 ――理解していなかった。

 とみなしても差し支えはないでしょう。
 少なくとも「十分に理解していた」とは、とうてい、いえないはずです。

     *

「人を殺してはいけない理由」を本気で語るとしたら、どうすればよいでしょうか。
 例えば、見知らぬ子供に、

 ――なぜ人を殺してはいけないの?

 と訊かれたら、どうするのか――ということです。

 そのときに――
 いきなり「理由」を力説するのは、逆効果だろうと思います。

 例えば、

 ――命というものは、一度、失われたら、二度と戻ってこないものだからだよ。

 などと説明したところで、その子供の心に響くとは、とても思えません。
 それで響くような子供は、最初から、こんな質問はしないでしょう。

 僕なら、まず、その質問にギョっとし、その戸惑いを正直にぶつけるでしょうね。

 ――なぜ、そんなことが気になるんだい?

 と――
 もし、その子供に脈があれば、色々と答えてくれるはずです。

 ――今朝、TVでいってたから――

 とか、

 ――近所のオジさんに怒られたから――

 とか――

 そうやって何かいってきたら、それに合わせて色々と説明をしたらいい――
 そのTV番組は、どんな内容だったのか、とか――近所のオジさんは何に怒ったのか、とか――
 そうやって子供と様々な話をしているうちに、自然な間合いで――
 例えば、

 ――誰だって自分は殺されたくないんだよ。自分がされたくないことを他人にするのは、よくないだろう? だから人を殺してはいけないんだ。

 と説明する、と――
 そうやって言って聞かせた内容は、たぶん子供の胸にも十分に響くと思うのです。

 が、まったく響かないケースも考えられるわけで――
 そういう子供は、そもそも、

 ――なぜ、そんなことが気になるんだい?

 と訊き返した段階で――
 たぶん、ずっと黙っているでしょうね。

 その場合は敢えて何もいわないのが正解ではないかと、今の僕は考えています。

 根拠は薄弱です。
 何かいったほうが、本当はいいのかもしれない――

 が、そのようなケースでは、何かをいうことで、かえって子供の心が捻れていくような気もするのですね。
 つまり――これ以上、子供の考えを歪めないようにするためには、敢えて何もいわないほうがよいのかも――ということです。

 話せばわかりあえるほどに、人間は単純な存在ではありません。
 いくら話しても、わかりあえないことというのは、いくらでもあります。
 人間同士の心の障壁を甘くみるべきではないと思うのです。