マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

クラークの第3法則

 アーサー・C・クラークさんが亡くなりました。今月19日のことです。
 90歳だったそうです。

 クラークさんは、イギリス生まれの作家で、『幼年期の終わり』や『2001年宇宙の旅』などの個性的なハードSF小説で有名な方でしたが――
 高校時代の僕にとって最も強烈だったのは、「クラークの第3法則」です。

 曰く、

 ――十分に発達した科学は魔術と区別がつかない。

 と――

 この「法則」に初めて触れたときには――
 その指摘の鮮やかさに、ただただ目を丸くするしかありませんでした。

(いったい、どういう発想してるんだ?)
 と――

(よりによって科学と魔術かい?)
 と――

 が――
 そこは二ュートンを生んだ国の人なのですね。

 イギリス人に限らず、西欧人にとって、科学と魔術とは、さほど異質ではないようです。
 喩えるならば、

 ――平安期の陰陽道が発展して今日の科学になった。

 といったような感覚を、もっているのですね。

 ちなみに、英語の原文は次の通りです。

 ――Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.

 着目すべきは、主語が「technology」であって「science」ではない、ということですね。
 よって、「科学」は「科学技術」としなければなりません。
 つまり、

 ――十分に発達した科学技術は魔術と区別がつかない。

 となります。

「十分に発達した」というのは「sufficiently advanced」に由来しますが――
 この「sufficiently」は、あくまでも「相対的に十分に」という意味合いでしょう。

 例えば、ニュートンは後世の語り草となる光の実験を行いましたが――
 その光を用いた現代の通信技術は、僕らにとっては、単なる科学技術の一例である一方、ニュートンにとっては、まさに魔術の具体例です。
 何しろ、地球の裏側を垣間みる技術なのですから――

 ところで――
「technology」を「science」に変えたら、どうなるのでしょうか?

 つまり、

 ――Any sufficiently advanced science is indistinguishable from magic.

 です。

 この場合、「magic」に比されるのは「science」ですから、ここでいう「magic」とは、技術や行為ではなく、思想や手法としての意味合いが濃いはずです。
「魔術」では、ちょっと据わりが悪いですね。「魔法」は悪くはありませんが、ちょっと軽すぎる感じが――

 ここは、「魔道」という言葉を用いましょう。
「道」というのは「茶道」や「華道」の「道」ですね。つまり、「魔の道」というわけです。作家の荒俣宏さんの造語です。
 これを使って、

 ――Any sufficiently advanced science is indistinguishable from magic.

 を訳すと、

 ――十分に発達した科学は魔道と区別がつかない。

 となります。

 高校時代のマル太は、「クラークの第3法則」を、このように誤解していました(笑