男って、究極的には、リアルに生きられないと思うのですよね。
常に何らかのフィクションにすがってしまう――
自分の人生の有り様が多少なりともフィクショナルで彩られていないと、なぜか活き活きとは生きられない――
どうしようもなく怠惰に生きてしまう――
あるいは――
毎日の暮らしがリアルな条件ばかりに縛られてしまうと、男としての生き甲斐はもとより、人としての生き甲斐をも見失ってしまう――
常にフィクションを追い求め、稀にリアリティを受け入れる――
リアリティは受け入れるものであって、自分から追い求めるものではない――
そういう習性が、男にはあると思っています。
時々、地に足がついていない男というのを、みかけます。
(こいつ、大丈夫かな?)
と思わせる――
例えば、世間的には全く価値がないように思える事物を収集したり、思わず首を捻りたくなるような珍現象を詳細に観察したり――
でも――
そういうときの男の顔というのは、不思議と輝いているのですね。
男として、輝いている――
いい歳して家庭を持たず、年老いた両親の庇護を受けるなどして――
世間一般的には、どうしようもない苦境に立っているようにみえる男でさえ――
輝いてみえる――
男として、輝いてみえる――
人としては、そうでもないですが……(苦笑
たぶん、男にリアリティは必要ないのでしょう。
フィクションをあてがってさえおけば、自然と輝き始めていくのが男です。
この場合のフィクションというのは――
リアルに生きていく上では不要なものですね。
例えば、夢とかロマンとか幻想とかプライドとか――
そういう男の習性を――
20代の僕は、
――男の弱さ
と断じ、ひたすら否定的にみてきたのですが――
もはや否定する気にはならないのですね。
それをなくしてしまったら、もはや男ではない――
かといって、女でもない――何か中途半端な生き物になってしまう――
(それだけはイヤだな)
と思うようになったのです。