時々、人間関係をリセットしたくなることがありますね。
それまでの友人・知人とは、一切、顔を合わせないようにする、ということです。
実をいいますと――
僕の場合、そんな感覚は、10年前には想像すらつかなかったのですが――
ここ数年で、何となくわかるようになりました。
人間関係のリセットは、実際的には、
――百害あって一利なし。
といっていいでしょう。
全ての人脈を断ち切るのです。
得か損かと問われれば、損に決まっています。
が、おそらくは――
ことは損得の問題ではないのです。
いったん築いた人間関係を、長年にわたって維持し、あるいは発展させていくことの疲労感が、心に歪(ひず)みを生じさせ――
その歪みに耐えかねて、心が、
――リセットしたい!
と叫び出す――
そういうことだろうと思います。
が――
それは現実逃避と違うのかと問われれば、大いに疑問です。
そもそも、人間関係を真にリセットするなど、可能でしょうか。
それまでの友人・知人と、一切、顔を合わせないようにしたとしても、ただそれだけでは、何らかのわだかまりが、なおも残るように思えてなりません。
極端な例を考えましょう。
*
ある会社の社長が、自分とソリの合わない社員たちを、片っ端からクビにしていきました。
人間関係を少しでも楽にしようと思ってのことでした。
が、いくらクビにしても、自分を取り巻く人間関係は楽になりません。
疲れ果てた社長は、あるとき、自分から会社を去ることにしました。
人間関係をリセットするためです。
さて――
この社長は本当の意味で人間関係をリセットできるでしょうか。
たしかに、会社を去れば、社員たちとは顔を合わせずに済む――
が、自分が会社のことに少しでも未練や執着があれば、真の意味でのリセットはできないはずです。
――今頃、あいつらが会社を好きなように牛耳っている。
とか何とかいって、かえって恨みをつのらせるかもしれない――
*
「人間関係をリセットしたい」という思いは、実は、「自分自身の心をリセットしたい」との思いでしょう。
つまり――
人間関係に疲れ果て、誰とも顔を合わせたくなくなったときに、最も有効な対処法は――
おそらくは、誰とも顔を合わせないようにするということではなく――
誰とも顔を合わせていないかのようなつもりで暮らしてみる、ということではないでしょうか。
あくまでも「――つもり」ですから、実際には顔を合わせるのです(笑
外面は変えません。
変えるのは内面です。
内面を変えても外面を変えなければ、たぶん本当のところは、外からはわかりませんから――(笑
少なくとも「百害あって一利なし」ということはないでしょう。
さすがに、
――百利あって一害なし。
とまではいかないでしょうが、
――百害なくて一利あり。
くらいにはなると思うのですよね(笑