マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

筆の滑りのない文章ばかりを

 ――筆が滑る。

 といいますね。
 余計なことを書く、必然のないことを書く、不可解なことを書く、うっかり本音を書く、といった意味です。

 筆の滑ったところをみつけ、逐一、修正をかけていく作業が推敲ですが――
 この作業は、なかなかに難しいものです。

 何が難しいかというと――
 筆の滑りを見つけだすのが難しいのです。

 いえ――
 見つけだすのは簡単です。

 もれなく見つけだすのが難しい――

 プロの作家や編集者でも、一つや二つくらいはもれるのです。

 さすがだな、と思うのは――
 国語の教科書です。

 あれには、もれがない――

 本当にないようなのですね。
 少なくとも僕は見つけだしたことはありません。

 おそらく編集者や教員の担当者が何重にもチェックをかけているのだと思います。

 すでに書籍として出版されている文章であっても――
 教科書に載る際には、編集部によって大幅に書き換えられることが珍しくないそうですよ。

 もちろん、それは教育的配慮に違いありません。
 筆の滑りを子供たちにみせるのはよくないという信念に依っているのだと思います。

 が――
 実際の書籍には、筆の滑りが一つや二つはあるものなのですよね。

 むしろ、まったくないほうが特殊なのです。

 であるならば――
 あえて筆の滑りをみせ、

 ――ほら、ここが滑っているよ。

 と教えることがあっても、いいのではないでしょうか。

 学校で筆の滑りのない文章ばかりを読ませることは――
 むしろ危うい純粋培養のリスクでしょう。