能弁は諸刃の剣です。
少なくとも、この国ではそうでしょう。
能弁であることが、この国では、必ずしも良しとはされていません。
能弁であるためには、実力が必要なのです。
その実力は実績によって裏打ちされたものでなければなりません。
つまり――
能弁が活きるためには実績が必要なのです。
もし、自分が能弁であることを自覚しており――
かつ、それを長所として、よそにアピールしたいのならば――
まずは実績を打ち立てることです。
すべては、それから始まります。
それまでは、沈黙こそが肝要です。
ただし――
このことと沈黙の美徳の絶対視とは、別ものです。
「沈黙の美徳」というのは、沈黙するべきときに沈黙することをいったものであって――
どんな場合にも沈黙するべきであることをいったものではありません。
沈黙は、しばしば傲慢の裏返しです。
沈黙するべき場合と、そうでない場合とがあるように――
能弁たるべき場合と、そうでない場合とがあるということです。