マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

科学書は攻略本

 科学書を読んでいると――
 細かく物質の名前が出てきたり、人名のついた現象が出てきたり――
 読者のやる気を色々に萎えさせる特徴が目につくものですが――

 科学研究というのはTVゲームみたいなもので――
 科学書というのは、その攻略本みたいなものです。

 したがって――
 科学書を読むときに、物質の名称とか現象の固有名詞とかは、TVゲームのキャラクターの名前やイベントの名称に近く――
 実際に科学研究に携わる身でなければ、さほど重視しなくてよいのですね。

 TVゲームで遊ぶわけでもないのに、キャラクターの名前やイベントの名称まで、一つひとつ頭に入れる必要はないでしょう。

 むしろ、ここで問題になってくるのは――
 科学研究がTVゲームで、科学書が攻略本である、という比喩が意味する位置付けです。

 この位置付けは、

 ――科学研究者でない者が科学書を読む意義などあるのか。

 という疑念を突き付けます。

 結論からいえば、

 ――意義はないことはない――

 でしょう。

 科学研究は人類に常に新しい知見を提供し続けています。
 人類の最新の叡智は、そうした知見に基づきます。

 よって――
 科学研究者でない者が、人類の最新の叡智を追い求めようと思ったら――
 科学書を読むしかないのです。

 もし、TVゲームが人類に新しい知見を提供し続けるのなら――
 TVゲームで遊ぶ気のない人でも、たぶん攻略本に手が伸びることでしょう――もし、その人が、人類の最新の叡智を追い求めようとするのであれば――