教養のある人というのは、知識と知性とが巧く絡み合っている人ですよね。
知識があるだけではダメだし、知性があるだけでもダメです。
ただ――
どんな教養人も、知識か知性か、どちらかに偏っていると思うのです。
厳密にフィフティ・フィフティの人は、まずいない――
知識に偏っている人は、鈍重な印象を与えるかもしれないし――
知性に偏っている人は、下品な印象を与えるかもしれない――
この偏りは仕方のないことでしょう。
それが、その教養人の個性なのです。
ただ、ちょっと気になるのは――
一般に、知性に偏っている教養人というのは、世間では、どうも教養人とは認められない傾向にあるらしい、ということです。
そんなことないでしょう。
知識を蓄えるのと同じくらいに――
知性を磨くことも大変です。
知識を蓄えることばかりが称揚され――
知性を磨くことが一概に軽視されては――
教養人の集団に偏りが生じます。
個人の偏りは仕方ありませんが――
集団の偏りは防ぐのがよいでしょう。
それは、社会の損失です。