マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

教養のある人というのは

 教養のある人というのは、知識と知性とが巧く絡み合っている人ですよね。
 知識があるだけではダメだし、知性があるだけでもダメです。

 ただ――
 どんな教養人も、知識か知性か、どちらかに偏っていると思うのです。
 厳密にフィフティ・フィフティの人は、まずいない――

 知識に偏っている人は、鈍重な印象を与えるかもしれないし――
 知性に偏っている人は、下品な印象を与えるかもしれない――

 この偏りは仕方のないことでしょう。
 それが、その教養人の個性なのです。

 ただ、ちょっと気になるのは――
 一般に、知性に偏っている教養人というのは、世間では、どうも教養人とは認められない傾向にあるらしい、ということです。

 そんなことないでしょう。

 知識を蓄えるのと同じくらいに――
 知性を磨くことも大変です。

 知識を蓄えることばかりが称揚され――
 知性を磨くことが一概に軽視されては――
 教養人の集団に偏りが生じます。

 個人の偏りは仕方ありませんが――
 集団の偏りは防ぐのがよいでしょう。

 それは、社会の損失です。