世界の覗き窓というのが、あるとしましょう。
人が世界のことを知るために覗く窓のことです。
世界の覗き窓は、10代の頃は狭いのだけれど――
20代、30代と歳をとっていくにつれ、しだいに広がっていきます。
その窓は、10代の頃は狭いのだけれど――
そこから流れ込んでくる光は七色に輝いているのですね。
が――
20代、30代と歳をとっていくにつれ、流れ込む光は輝きを失い――
やがて、輝きは消え失せ――
むしろ、広くなった覗き窓に首を突っ込んで、こちらから必死に目を凝らして外の様子をみつめなければならなくなります。
ですから――
例えば、10代の書いた詞が、ときどき20代や30代にとって色褪せてみえることがあるのですが――
それは、20代や30代にとっての世界の覗き窓が、もはや七色の光を呼び込まなくなっているからでしょう。
そのようにして七色の光りは永遠に失われますが――
人が、その七色の輝きを忘れることは決してありません。
決して忘れられないからこそ――
20代や30代は、つい自分の記憶の中の七色の輝きを10代の書いた詞に重ねようとするのですが――
それが巧くいくことは、まずなくて――
それで、
――色褪せている。
などと感じてしまう――
――自分が知っている七色の光りは、こんなものではなかった。
などと思い込んでしまう――
その詞を書いた10代には確実にみえている七色の光が――
20代や30代にはみえていない――
すでに永遠に失われてしまっている――
そういうことが――
世界の覗き窓には起こりうるに違いないのです。