マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

暗闇にボーと浮かぶ火の玉を

 ――精神と物質

 というように――
 この2つの言葉(ないし概念)は、よく対比されるのですが――

 よく考えてみると――
 なぜ、この2つが対比されるのか、よくわかりません。

 精神というのは、たぶん、ヒトの脳の働きの一部でしょうから――
「精神と物質」という対比は、

 ――速さと車

 という対比に等しいでしょう――速さは車の働きの一部ですから――

 速さと車とを対比させる人は、あまりいません。
 面白くないからです。

 が、「精神と物質」という対比を面白がる人は多い――

 その根底にあるのは、魂のイメージなのでしょうね。

 もっといえば――
 素朴な人魂のイメージです――暗闇にボーと浮かぶ火の玉のイメージ――

 あれを精神の表象と無意識のうちにみなしてしまうとき――
「精神と物質」という対比が面白く感じられてしまうのです。

 二十歳前後の僕も、そうでした。
 素朴な人魂のイメージを持っていたからです。

 本当は、面白いのは、素朴な人魂のイメージのほうだと思うのです。
 暗闇にボーと浮かぶ火の玉を、なぜ、人は、精神の表象とみなしてしまうのか――

 もちろん、それは、多くの人々にとって、幼い日々に刷り込まれた幻影のもたらす結果であるわけですが――
 あのイメージの中に、人の全霊を押し込めてしまう発想というのは、かなり突飛だと思うのですよ(笑