マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

そこは見渡す限りの平原

 生きることに意味はないと思うのですよね。

 例えば――
 雨が降ることに意味がないように、生きることにも意味はない、と――

 雨が降るのは、大気中の水蒸気が冷やされて水滴になって地球上に降り注ぐからですが――
 その「大気中の水蒸気が冷やされて水滴になる」ということに、とくに意味はありません。

 地球上の環境がそうなっている――水分が海洋と大気とを循環している――というだけの話です。

「生きている」ということも、結局は「地球上の環境がそうなっている」といったレベルに帰着できる現象です。

 もちろん、帰着できるからといって、つねに、すべからく帰着させる必要はありませんが――
 でも、帰着できるという事実に、あまりにも無頓着であり続けるのは――
 ちょっと知的に不誠実な態度であろうと思います。

 まずは、「生きることに意味はない」と認め、その上で、

 ――生きることに、どのような意味を与えるか。

 という態度で臨めばいいと思うのです。

 ――生きる意味は何か?

 と問うから隘路にハマるのであり――
「生きることに、どのような意味を与えるか?」と問えば――
 そこは見渡す限りの平原です。

 どんな意味でも絞り出してやって、付け与えてやればそれでいいのです。
 その付け与え方に、何か決まったルールがあるわけではないでしょう。