随筆は、筆に任せて自由に書くものです。
が――
実際は、そんなに自由ではないと感じています。
小説のほうが、はるかに自由です。
随筆は、虚構を挟まないことが慣例になっています。
随筆の技巧として虚構を織り交ぜるべきとの見解もあるのですが――
随筆と銘打たれた文章に虚構が混じっているとは、ふつう多くの読者は考えません。
よって、あえて随筆に虚構を混ぜる場合には――
それは、
――絶対にバレない嘘
であることが推奨されます。
随筆に嘘は交えない――
交えるにしても、絶対にバレない嘘以外は交えない――
これは、かなりキツい制約です。
何かを正直に語っているつもりでも、自分の思い込みに基づく無意識の嘘は、非常に混じりやすい――
そこは、嘘がつき放題の小説とは、明らかに異質です。
基本的に嘘はつけないという約束事があるために――
随筆は、読者の誰かを傷つけたり怒らせたりする可能性がつきまといます。
このために――
僕自身、『道草日記』で触れてこなかった話題は無数にあります。
せっかく面白そうな話題を思いついても、
(でも、これは、ちょっとヤバいな)
と思って、書くのを控えてしまう――
そんなことを繰り返しているうちに――
ふと、バカらしく思えるときがあるのですが――
でも、
(やっぱりダメだ)
と決意を新たにすることも多いのです。
その決意というのは――
自分の書いた文章を読んでくれた人たちが洩らす何気ない一言によってもたらされることが、ほとんどです。
自分の書いた文章を人にみせるというのは、大切なことです。