大阪地検特捜部の主任検事が、裁判で証拠となりうるフロッピーディスクを改竄(かいざん)していた疑いがあるそうですね。
けさの新聞が伝えていました。
その後、種々の報道機関が、
――「検察は社会正義を担っている」という人々の素朴な信頼が失われた。
などと伝えています。
きわめて悲観的です。
なぜ悲観するのか――
僕には、わかりません。
そういう「素朴な信頼」は一日も早く失われたほうがいいのです。
いかなる組織も、人が構成している組織である以上、恒久的に「社会正義を担う」ということはありえません。
人の組織の意思統一は、そこまで強固でも強靭でもない――
今回の疑惑から僕らが学ぶべきことは、
――検察も間違える。
ということです。
その「間違える」には「たまには不正を働こうとすることがある」ということを含みます。
検察も間違える――
だからこそ、裁判が必要なのです。
裁判は、少なくとも原理的には、検察の犯罪の立証を採点する場なのですから――
今回のスキャンダルは、結果として、検察を追い詰めたりはしないでしょう。
長い目でみたときに、むしろ検察を救うでしょう。
恒久的に「社会正義を担う」という過度の期待から解放されるのですから――
検察の関係者の方々は絶好の機会と捉えていただきたい――
もちろん、感情的には全く面白くないでしょうが――