マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本当に「無血」だったのかも

 アフリカのリビアが大変なことになっています。

 1969年――
 当時、国軍の将校の一人で27歳だったカダフィ氏が、仲間たちとクーデターを起こ、国王を追放――
 自らの政権を樹立しました。

 以来、40年以上にわたって、カダフィ政権の独裁が続いていたのですが――
 今年になって、近隣諸国の民衆運動がリビアにも飛び火し――
 それを武力で強引に鎮圧しようとする政権側との間で血なまぐさい衝突が頻発しているようです。

 僕は、

 ――カダフィ

 ときくと、すぐに「独裁」の印象を思い浮かべていました。

(どっちかというと、困った人でしょ?)
 という理解です。

 が――
 ある一定の年齢の人たち――カダフィ氏よりも5~10歳くらい若い人たち――には、つい最近まで、好印象があったようなのです。

「つい最近まで」というのは「民衆運動を武力で強引に鎮圧しようとするまで」ですが……。

 どういうことでしょうか。

 どうやら、

 ――27歳の若さで仲間たちとクーデターを起こし、成功させた。

 という側面が大きかったようです。
 しかも、その「革命」が「無血」であったらしいことが好印象に拍車をかけました。

 僕は、1973年の生まれなので――
 そのときを知りません。

 カダフィ氏が政治の表舞台に颯爽と登場した状況をリアルタイムではみておりません。

 だからこそ――
 カダフィ氏のことを「どっちかというと、困った人でしょ?」と思っていたわけです。

 独裁というのは、短期間ならともかく、長期間にわたれば、必ずといっていいほどに「困ったこと」だからです。

 カダフィ氏の印象に世代間ギャップがあることは、酒の肴にはもってこいでした。
 カダフィ氏への好印象を吐露した人は、ある程度、年齢がわかってしまうようなところがありました。

 今は、そんなことはありえませんね。
 カダフィ氏に好印象を持ち続けることは至難でしょう。

「無血革命を成功させた」という触れ込みのカダフィ氏が、流血の弾圧に踏み切った事実は、物悲しいですね。
 若き日のカダフィ氏も、こんな弾圧に踏み切るために「無血革命」を試みたわけではなかったでしょう。

 人間の知性や理性に限界があることを痛感させます。

 今となっては、本当に「無血」だったのかも、疑わしいといわざるをえませんね。

 カダフィ氏が政治の表舞台に颯爽と登場したときに――
 実際には、みえないところで、おびただしい血が流れていたのかもしれません。