マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本当は「重み」のある言葉なのに

 もし、言葉に、

 ――重み

 というものがあるのだとしたら――
 それは、思考の深さや広さを反映したものです。

 深く考え、広く考える――
 その結果もたらされる結論や感慨に、人は初めて「言葉の重み」というものを感じます。

 この「重み」は、その言葉を担う言語が母語かどうかには無関係です。

 例えば、日本人なら――
 たとえ、日本語でなくても、深く広い考えに基づいた言葉には「重み」が感じられ――
 逆に、日本語であっても、浅く狭い考えに基づいた言葉には「重み」は感じられない――
 そういうことです。

 ただし、「言葉の重み」を感じるには、それを感じる人にも、コミュニケーションの技術や知識、覚悟が必要です。

 本当は「重み」のある言葉なのに、「軽い」と錯覚されることが、しばしば起こりえます。

 例えば――
 日本人が英米人に英語で話すときに、よく起こります。

 それは、日本人を英語に対して後ろ向きにさせる要因として、かなり大きいのではないでしょうか。