マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

あの国の違和感の凝集されているところ

 北朝鮮では、どうやら権力の移譲が無事に済みそうですね。

 父から子への移譲です。

 現代日本社会に生きる僕らからみたら、強い違和感を覚える移譲ではありますが――
 北朝鮮の人たちにしてみたら、世襲による権力継承が最も穏当な手法なのでしょう。

 北朝鮮の国情は、国外からは、よくわかりませんが――
 たぶん国情を詳細に把握している人たちにとっては、これが最も良識的なやり方なのです。

 それはそれで、よいと思うのです。

 北朝鮮の国家としての主権は、北朝鮮の人たちに存するのであって――
 その主権を、誰か特定の人物に集中させたいと、多くの人たちが思うのであったら――
 そのようにしたらよいのです。

 それは、北朝鮮の人たちが決めることであって、僕らが決めることではありません。

 ただし――
 それは承知で、それでもなも、触れておきたいことは、先ほども述べた「違和感」です。

 この違和感は簡単に凝集できます。

 それは「同志」という呼称――おそらくは敬称――です。

 北朝鮮のメディアは、例えば、亡くなったキム・ジョンイル総書記のことを、「キム・ジョンイル同志」と呼称していたそうですが――
 キム・ジョンイル総書記は、国外からみる限り、あきらかに絶対王権を握っていました。

 そうであれば、「同志」ではなく、

 ――国王陛下

 でしょう――「キム・ジョンウン陛下」でよいではないですか。

 おそらく、今の北朝鮮には、いわゆる国王が必要なのです。

 であるならば――
 国王として素直に遇せばよい――たとえ、時代錯誤であろうとなかろうと、それが最善の道と信じるなら、素直に遇せばよい――

 それをしないところに――
 あの国の違和感が凝集されていると感じます。