駅のホームの待合室で、一人、電車を待っていたら――
二人ずれの男子高校生が僕の斜向かいに座りました。
遅れて――
一人の若い男性(おそらくは大学生か社会人か)が入ってきて、僕の隣の隣くらいに座りました。
きょうの宮城県地方は強風が吹き荒れていて――
電車のダイヤは乱れていました。
「17時48分の電車は、ただいま67分遅れで運行をいたしております」
ホームに駅舎放送が流れました。
すると――
一人の若い男性が、すくっと立ち上がり、待合室の扉に向かいます。
その扉は引き戸です。
若い男性は、そのまま外のホームに出て――
振り返りざまに、
――ぱしゃん!
と引き戸を勢いよく閉めました。
あまりにも勢いが良かったので――
一度は閉まった引き戸が跳ね返り、結局、20センチくらいの隙間が残りました。
4月とはいえ――
外は強風です。
冷たい風が中に流れ込んできました。
隙間をみた男子高校生の一人が、すくっと立ち上がって引き戸を閉めました。
そして、一言、
「今の人、怒ったのかな?」
もう一人の男子高校生が笑いました。
僕も思わず笑ってしまいました。
僕がみたところ――
その引き戸を勢いよく閉めた男性は、怒っていたのではありません。
おそらく、ふだんから何気ない行動の一つひとつが粗野な人なのです。
服装や表情、仕草などから、そう判断しました。
つまり、「みるからに粗野な人」なのですね。
それは、二人の男子高校生にも十分に伝わっていたと思います。
だからこそ、
――今の人、怒ったのかな?
という言葉が出てきたのでしょう。
本当は怒ったわけではないことは何となく察している――
それでも、あえて「怒ったのかな?」と訝ってみせるところに、おかしみがあったのですね。
注目すべきは、「今の人、怒ったのかな?」の言葉のどこにも、大げさな嘘や嫌味が含まれていないことです。
こうした「おかしみ」は、日本語圏に固有の感覚であるように感じます。
もし、英語圏で同じことが起こったら、どうでしょうか。
――今の引き戸の速さは超特急だった。
とか、
――すばらしく上品な閉め方だったな。
といった言葉で――
いわゆる「ユーモア」の感覚が表されていた気がします。