マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その足掻き方の履歴に納得できているか

 世界のことや自然のことについて――

 まだ子供だった頃は――
 自分の知っていることや、わかっていることと、人類全体で知っていることや、わかっていることとの開きが、あまりにも大きすぎたので――
 逆に、
(もっと知りたい! もっとわかりたい!)
 と、強く意気込んでいたものですが――

 大人になってみて――
 自分の知っていることや、わかっていることと、人類全体で知っていることや、わかっているこことの開きが、徐々に小さくなっていくのを感じるにつれ、
(まあ、いいか)
 と、軽く諦めるようになりました。

(だって、人類全体で知らないんでしょ? だったら、僕が知らなくたっていいよ)
 というふうに感じるのですね。

 そんな自分が、イヤではありません。

 ――すっかり怠け者になってしまった。

 と自嘲する気持ちもありません。

 それは――
 子供の頃に「もっと知りたい! もっとわかりたい!」と人一倍に強く意気込んでいたことの――少なくとも、そうであったと自負していることの――裏返しです。

 この自負が納得の礎となって――
 今の自分の知的好奇心の減弱に対し、わりと寛容になれるのですね。

(それもまた、いいんじゃないの)
 と――

 知らないということや、わからないということが、いたずらに胸の内で不安をかきたてたり、やたらと恥ずかしく思えたりするのは――
 今日(こんにち)までに、いかに物事を知ろうとしてきたか、いかにわかろうと努力してきたか――その足掻(あが)き方の履歴に――
 自分自身が十分に納得できていないからでしょう。