人が、何かについて、懸命に語りたくなっているときというのは――
その「何か」のことをよく知らないか、よくわかっていないかの、どちらかであろうと思います。
その「何か」について、よく知るようになって、よくわかるようになったら――
その「何か」について、人は、そんなに懸命には語らなくなります。
本屋さんにいくと、しばしば、
――○○について
といった書名の本をみかけますね。
そうした本のほとんどは、著者が「○○」のことをよく知らないからか、あるいは、よくわかっていないからこそ、書かれえたものです。
よく知っていたり、あるいは、よくわかっていたりすれば――
その「○○」のことだけで1冊の本にまとめるなどは、できません――書くべきことが少なすぎて――
おそらく――
原稿用紙10枚をうめるのも大変でしょう。
よく知っていたり、あるいは、よくわかっていたりすればするほどに――
本質的で簡明な結論を得ることができます。
あとは、それら結論を並べて指摘するだけですから――
そのぶん字数を必要とはしないのです。
よく知らなかったり、あるいは、よくわかっていなかったりすれば――
これと逆のことがいえます。
本質的で簡明な結論を得ることができませんから――
冗長的で複雑な結論を列挙していくことになります。
そのぶん字数を必要とするのです。
では――
その冗長的で複雑な結論を列挙していく本がつまらないのかといえば――
そんなことは決してなく――
それら結論の列挙の仕方を工夫することで、大変に面白い本に仕上がるのです。
つまり――
著者は、自分がよく知らないからこそ、あるいは、よくわかっていないからこそ、本を面白く書けるのです。
――面白い。
の根源には、必ず「よく知らない」や「よくわからない」があります。