高校野球で、また奇策が出たようですね。
――相手チームの4番バッターと勝負をしない。
という奇策です。
5打席連続でフォアボールを与えたそうですよ。
奇策が飛び出した舞台は、きのうの高知県地区大会の決勝戦でした。
奇策を繰り出したチームが甲子園大会への切符を手にしました。
敗れたチームの4番バッターは――
いったい、どんな気持ちだったのでしょうね。
20年前の甲子園大会でも――
同じようなことがありました。
のちに日本のプロ野球界を代表するバッターの一人となった松井秀喜選手が、やはり5打席連続でフォアボールを与えられています。
この試合でも、勝利を収めたのは奇策を繰り出したほうのチーム――
松井選手のチームは敗れ去りました。
ところで――
きのうの試合でも20年前の試合でも、
――相手チームの4番バッターに、5打席連続でフォアボールを与えてでも勝つ
という奇策を繰り出したのは、同じチームなのです。
もちろん、20年の年月が経っているので、実質的には同じチームではありえませんが――
ただ一つ明らかに変わっていないのは――
チームの采配をふるう立場の人――つまり、監督です。
その監督さんは、アマチュア野球の指導者としては抜群の実績をお持ちで、人脈が豊かで、声望の厚い方なのだそうですが――
それでも、やはり、
(なんか、おかしくないか?)
と思わずにはいられません。
この監督さんが――
きのうの試合でも20年前の試合でも「相手チームの4番バッターに、5打席連続でフォアボールを与えてでも勝つ」という奇策を選択したことが――
どうにも引っかかるのです。
もちろん――
この監督さんのご信条を批判するつもりはありません。
ご自分に特異的な信念に基づき、あえて勝負に徹しようとされることに、とくに文句はありません。
また、そのようなご自身の勝負哲学を高校生たちに教えるのも構わない――
が――
チームの監督として、ご自分も試合に参加し、そこで、ご自分に特異的な信念を実行されたということには、大いに疑問を感じます。
この違和感は、何に由来するのか――
おそらくは、
――高校野球なのに、チームの監督が高校生ではない。
という事実です。
ここでいう「監督」とは、チームの采配をふるう立場の人――つまり、試合中の全ての戦術を決める者――という意味ですよ。
常識で考えましょう。
何といっても“高校野球”です。
試合中の全てのプレーが高校生たちによって実演されるだけではなくて――
試合中の全ての戦術も高校生によって選択されるべきではないでしょうか。
それなのに――
野球のティーチング・プロによって選択されているからこそ、「なにか、おかしくないか?」と思えるのですよ。
それは――
喩えるならば――
大学入試センター試験の会場に高校の先生が入っていって、出題内容を分析し、しかるべき解答方針を決めてあげるようなものです。
きのうの試合や20年前の試合で、「相手チームの4番バッターに、5打席連続でフォアボールを与えてでも勝つ」という奇策を選択したのが高校生であるならば――
何の違和感もありません。