マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

あえて執着をするのなら

 何か好きなものをみつけたら――
 どんどんそれを受けとって、どんどん味わって、満たされるのがよいと思うのです。

 飽満の果てに――
 それが、自分にとって本当に好きなものであったのかが、よくわかることでしょう。

 同様に――
 何か好きなことをみつけたら――
 どんどんそれを試みて、どんどん楽しんで、満たされるのがよいでしょう。

 ただし――
 好きなものを受けとって満たされるのと――
 好きなことを試みて満たされるのとでは、本質的な違いがあると思います。

 受けとって満たされるときには――
 人は、それ以上は望まないものです。

 が、試みて満たされるときには――
 人は、別の試みを望みます。

 さらに違った角度から試みたくなるのですね。

“もの”は、追い求めれば、いつかは、それを手にできますが――
“こと”は、いくら追い求めても、決して手にはできません――蜃気楼のごとく、虚空の彼方へと消え入ってしまいます。

 それゆえに――
 人は、創造という営みを始めるのでしょう。

 創造は、新たなものを生みだすというよりは――
 新たなことを思いつくという側面に、本質が潜んでいるように思います。

 執着は、しょせん拘泥の迷妄と同質ですが――

 それでも、あえて執着をするのなら、“もの”ではなく、“こと”がよいでしょう。
 ものに執着していては、いつまでたっても創造には至りません。